2012年3月4日日曜日

39アート in 向島 2012に参加します。

ご無沙汰しております。


このたび、39アート in 向島 2012に参加して、
「わたしの小さな生活」の作中に登場した場所を
実際に訪ねてめぐるまちあるきを開催いたします。


向島百花園、料亭街、桜橋、隅田川。

曳舟駅から向島を抜けて浅草まで。
物語を感じながら、様々な距離と時間を移動しましょう。
当企画の作者がご案内いたします。


当企画を体験いただいた方も、体験されなかった方も、
ぜひご参加下さい。


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「わたしの小さな生活」をめぐるまちあるき
・日時:3月20日(火・春分の日)13時〜
・場所:東武伊勢崎線 半蔵門線直通 曳舟駅改札前集合/浅草解散
・要予約 参加費500円(和菓子一品付)
・予約方法:watashinochiisanaseikatsu@gmail.com まで、
      代表者の氏名、連絡先、参加人数を明記の上お申し込み下さい。
・緊急連絡先:070-5014-1990
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「わたしの小さな生活」をめぐるまちあるきは、39アートの日に参加しています。

3月の向島は39アート月間!

 

2011年12月25日日曜日

記事掲載のお知らせ

参加していた墨東まち見世のブログで、当企画を紹介していただきました。
よろしければご覧下さい。

墨東まち見世ブログ 

2011年12月10日土曜日

「不在の存在」

  「すでに存在していない」ことは「何かが存在している」ことよりも、なぜこんなにも確かに感じ
られるのだろう。そして、すでに存在していないことは、なぜこんなにも何かの存在を感じさせるの
だろうか。

 墨東まち見世の企画のひとつ、KOの「わたしの小さな生活」。この作品は基本一人で体験するこ
とがベストだ。一人で感じること、一人でこの空間と文章と猫達の「不在の物語」と向き合うこと。
この作品は、体験者の中にある「不在」と「喪失」の感覚を呼び起こす装置のようだ。
 この作品の作者であるKOは、大正時代に建てられたという古民家に猫6匹と住んでいる。この建物
は賃貸物件で建てられてから様々な人々が住み、去っていった。無人のその部屋に体験者は入り、そ
こに置かれている私小説のような文章を読む。猫たちの徘徊するその部屋で、体験者は思い思いに過
ごし、時間になったら外に出る。
 賃貸物件というのは思えば結構怖いものだ。一つの箱に誰かが住み、去って行ってはまた違う人が
住む。普通の賃貸物件ならば住人が変わる間にクリーニングが入り、あたかも今まで誰も住んでいな
かったかのように以前の住人の痕跡を消す。痕跡がないことで、新たな住人は安心してその部屋に住
むことができるのだ。
 KOの住んでいる古民家は、そこに住んだ様々な人々の痕跡がいたるところに残っている。壁の落書
きも、柱の傷も、KOがつけたのか以前の住人がつけたのかわからないが、「誰かがそこに存在してい
た」という跡がそこかしこに残っている。
 いわば「不在」が充満している。

 青白い冷たい光がわずかに差す部屋の中で、文章を読む。文章は、この建物の歴史やKOが住むこと
になった経緯、ここでの生活、この建物に昔住んでいた住人のこと、いなくなった猫のことなどが私
小説風に綴られている。そこには何かを掴もうとし、それが手の間からすり抜けていき、やがてその
ものの存在自体が本当にあったかもわからなくなっていく感覚があった。
 いなくなる、というのは元々いない、というのとは違う。確かに、以前そこに存在していたはずの
ものが、今はいない、不在の状態。この部屋に住んでいた住人は今、ここにいない。わずかな痕跡と、
誰かの話によって存在を想像するだけだ。
 不在が充満する部屋に、誰かの気配がある。しかし誰の気配かはわからない。

 一体、何かが存在するということはどれだけ確かなことなのだろうか。私は今まで生きてきて何を
掴むことができたのか。いつでも人は時間とともに行き過ぎていく。痕跡だけを残して。そして、誰
かがそこに存在している現在よりも、その痕跡のほうがより存在が確かで、愛しさを感じるのはなぜ
だろう。
 もう動かない時間。過ぎてしまった時間。痕跡とは時間の抜け殻のようなものでもある。抜け殻は
思いと共にずっと残る。そしてもう動かない。好きなだけ、想うことができる。猫たちが徘徊する抜
け殻だらけのこの部屋で、KOの物語は終わることなく続いていく。それは胎内のようなこの部屋で、
抜け殻とともに永遠に産み出されない子どもの姿のようでもある。

 墨田区向島という街自体が時間の集積のような場所で、さらに濃縮された時間が、この部屋の小さ
な生活の中に在ったように感じた。

画家 工藤春香